日本に古くからある財閥のひとつに、『相沢財閥』というものがある。
その総資産は国内で一、二を争うと称され、一般人にも広く知られている大企業である。
その相沢の血筋は数多くの優秀な医者や弁護士、政治家を輩出し、その中にはノーベル賞受賞者までいるほどだ。
万人が認める優秀な血筋なのだが、相沢家の伝承では、ただひとつだけ欠点があるとされている。
相沢の血に双子の女子が生まれれば、それはこの世に災厄をもたらす――――と。
それはただの伝承に過ぎず、現代では子供にすら笑い飛ばされそうなものだった。
一族の者とて、そんな伝承など信じているものはいなかった。
だが、今から数十年前――――実際に相沢財閥の総本山とも言える当主のもとに男女の双子が生まれたことにより、その見解は大きく変わってしまった。
当主の妻はその双子を産んだことによって病弱な体質となり、出産後半年と経たずこの世を去った。
相沢一族に衝撃が走った。
やはり双子の女の子は伝承の通りに世に災厄をもたらすのではないか、と。
その後もその母の死を皮切りにして、一族の遠縁の者たちが、ひとり、またひとりと倒れていった。
月日が流れ、急死した者の数が二桁になり、その双子が三歳になったころ――――
関東大震災によって、その女の子自身も死んでしまった。
その後はそれまでのような惨劇がピタリと止み、一族の者はみな安堵したという。
生き残った男の子もすくすくと育ち、無事に当主の座を継ぐことができた。
その頃には、相沢一族を震撼させた災厄は偶然に不幸が重なっただけであって、双子の少女によるものではない、と落ち着いて考えられるようになった者も、ぽつぽつと現れるようになった。
しかし、女の子が死んで、50回目の命日に……特別に建てられた双子の妹の墓前で、相沢家当主が原因不明の死を遂げた。
まるで見計らったかのようなタイミングに、死因まで不明……
もはや、その伝承を信じない者はだれひとりとしていなくなってしまった。
しかしそんな中でも、変死した当主の息子である相沢零治が十五歳という若さで当主となり、父と死に別れたにもかかわらず気丈に振舞うまだ幼さの残る彼によって、混乱した相沢一族は徐々に本来の姿へと戻っていった。
そのことで彼に感謝している者も多く、みな零治のことを相沢の歴代一の手腕を持つと賞賛していた。
事実、零治は災厄の一端によって激減してしまった相沢財閥の資産を、たったの一代(しかも十年足らず)で、回復させるどころか、従来よりも増やしてしまうほどの偉業を成し遂げていた。
一族のものは例外なく零治を尊敬し、信頼し、『一族に希望をもたらした者』として崇拝している者さえいた。
その後も零治の結婚、そして妻・祐子の懐妊と、おめでたいことばかりであった。
しかし、良いことはそうそう続かないものである。
祐子から産まれてきた子供は双子。それも片方は女の子だったのだ。
このままでは、また一族を不安にさせてしまう――――そう思った零治は、長女の存在を抹消してしまおうと考えた。
しかし、事情を説明したところで祐子は首を縦に振らなかった。
せっかくお腹を痛めて産んだ子供を殺そうというのだから、彼女の気持ちを考えれば無理もない。
しかし零治とて、なにも好き好んで娘を殺そうとしているわけではなかった。
だが零治は、一族に崇められているほどの存在だったのだ。
そんな自分に双子が産まれたなどという凶報を、一族の者に伝えるなどできるはずがなかった。
祐子と相談した結果、零治は娘の存在を徹底的に隠し、戸籍すら取得せず、祐一と名付けた息子だけが生まれたことにした。
祐子の趣味が家事全般ということもあり、零治の屋敷に使用人が一人もいなかったことは救いだったと言えよう。
一族の者も当主に男の子が生まれたことを大いに喜び、相沢家はますます活気づいていった。
その一方で、零治によって祐無と名付けられた娘は屋敷から出ることさえ許されず、学校にも通わせてもらえなかった。
それでも、祐無の弟に当たる祐一はそんな祐無のことを常に気にかけていたし、二人が産まれた当時は祐一しか愛せなかった零治も、いつのまにか逆転して祐無を溺愛するようになっていた。
そんな経緯を経て零治たちは近年稀に見るほどの仲の良い家族となり、祐無も大好きで大切な家族に囲まれて、何ひとつ不自由を感じずに幸せに育っていった。
祐無が産まれてから十年間、一族の中には特筆すべき不幸は何も起きなかった。
しかしその十年目に、祐一が祐子の妹――――つまり秋子と名雪の家に遊びに行ったときに、心に深い傷を負って帰ってきた。
両目に涙の跡を残し、すべてに絶望したかのような暗い表情をした祐一には、かけてやれる言葉が見つからないほどだった。
毎年、北の街の土産話を楽しみにしていた祐無だったが、そのときばかりは、自分から話を聞くことはできなかった。
ただ祐一と一緒に寝たいと言って、大人用の零治のベッドで祐一を抱くようにして眠った。
その夜、祐一は同い年の姉に縋りついて、泣きながら祐無に自分の身に起きた悲劇を打ち明けた。
次の日の朝には祐一はすっかり元に戻っていたが、祐無は平静でいられなかった。
祐一に何があったのかを訊けずにいた両親に自分が聞いた話を聞かせ、相沢家の伝承を知っている祐無は、自分のせいだと言って泣いていた。
零治にはそれを否定しきれなかったが、それでも祐無が可愛いので、祐子と一緒に必死になって愛する我が子を慰めた。
そんなことない、そんなはずはない、祐一が一晩で元気になれたのは、祐無の力じゃないか、と――――
しかし、二・三日としないうちに、零治たち三人は気付くことになる。
祐一が元に戻ったのは、北の街であった出来事を忘れているからなのだ、と。
――――記憶障害だった。
それを知った祐無は再び自分を責めるようになったが、不謹慎にも、零治は逆に喜んでいた。
祐無は、相沢の双子としての『災厄』の力で祐一の記憶を消し去り、それによって祐一を救ったんだと、そう思った。
自分の娘は『災厄』の象徴だが、その力を良い方向へと使うことができる子だ――――。
そう考えたとき、零治は嬉しさから涙を流した。
『祐無』なんていう否定的な名前を付けた過去の自分を改めて恨めしく思いながら、子供の前だというのに涙を流した。
祐無も零治のその話を聞いて、彼女の気分も幾分浮かばれたようだった。
その後、やはり特筆すべき厄介事は何も起きずに月日が流れ――――祐一が高校二年になった、冬。
海外進出を果たした相沢財閥のある企業の経営状態が悪化し、それは零治が直接出向かなければ立て直せないほどの規模だった。
零治が現地に行かなければならないほどの不況は初めてで、これをいい機会にと、跡継ぎの教育も兼ねて、零治は祐一も連れて行くことにした。
まだ高校生の祐一には早いことなのかもしれないが、零治が直接その手腕を祐一に見せてやれる機会なんて、この先一度もないかもしれない。
しかし祐一を連れて行くとなると、周りから見れば、祐子だけを日本においていくことはどう考えてもおかしい。
当然、祐子も連れて行かなくてはならなくなる。
だが祐子を連れて行けば、祐無はひとり日本に取り残されることになってしまう。
今さら両親との別離を寂しがるほどの年ではないが、世間的に祐無は『いない』ことになっているのだ。
一家三人が総出で国外に行っているというのに、零治の屋敷に祐無が住んでいれば怪しまれる。
しかも祐無は人目につく訳にはいかないので、買い物にすら行けない。
家事や護身術なら祐子と零治とで教えてあるが、それでも、彼女に一人暮らしをさせるには問題があった。
そこで零治が思いついたのは、祐無を祐一になりすまさせることだった。
本物の祐一は自分と一緒に日本を離れ、祐無を祐一と偽って親戚に預ければいい。
そうすれば、祐無を世間に出した場合に本当に『災厄』が訪れるかどうかを確かめられるし、一石二鳥だと思ったのだ。
ただ、さすがに相沢の人間に祐無を預けて行くことには気が引けた。
そこでピックアップされたのが、秋子の家である。
祐一も何度か泊まりに行ったことがあるところだから、零治たちがそこに祐一を預けたとしても、何らおかしいことはない。
さらに祐一は記憶障害であの街のことをあまり覚えていないし、祐無は毎年祐一から北の街での出来事を聞いていた。
祐無が祐一になりすまして暮らすことは、それほど難しいことではない。
男女の違いという最大の難点があるが、祐無の背は高い方だし、そのわりに胸が出ている訳でもない。
零治が武術を叩き込んだだけあって女性にしては体つきもしっかりしているし、祐一はもともと中性的な顔立ちをしている。
しかも秋子や名雪とは七年も会っていないのだから、多少顔が違っていても双子なので誤魔化せる。
勉強だって、祐一も含めた家族三人で教えていた。高校生として普通に振舞うことは十分に可能なのだ。
祐無はその零治の提案に笑顔で同意し、これまでとは違った生活に心を躍らせていた。
かくして本物の祐一は両親と共に海外へと旅立ち、祐無は祐一として水瀬家に居候することになったのだった。